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連載小説 神霊術少女チェルニ〈連載版〉 4-25

天上天下てんじょうてんがに並びなく 四方万里しほうばんりとどろき渡る 菩薩ぼさつの威光 弥栄いやさかえ 衆生しゅじょうを救いし観世音かんぜおん 大慈大悲だいじだいひの尊けれ〉
 
 わたしの耳元で降ろされた、アマツ様の言霊ことだまは、やがて、誇らかで朗々ろうろうとした響となって、部屋中を満たしていった。わたしは、言霊に込められた重さ……いわば、神威しんいとでもいうべきものに圧倒されて、半ば意識を失いかけていた。本当に、それは何て巨大だったんだろう!
 
 呆然として、ふらふらしながら立ちすくんでいた、わたしの身体を、純白の光の帯と、真紅の光の帯が、ぐるぐるっと巻き込んでくれた。この個室に入ってくる前、輝くリボンみたいになっていた、スイシャク様とアマツ様の光の帯が、頼もしい太さに変化して、わたしの魂を守ってくれたんだと思う。
 薄れそうになる意識を、必死につなぎ止めて、ようやく開いた目で、わたしは、空中に浮かんだスイシャク様を仰ぎ見た。ふくふくで真っ白な巨大雀で、黒曜石みたいな瞳が愛らしくて、羽根の先だけが薄茶になっているのも可愛らしい、わたしの大好きなスイシャク様は、確かにそこに存在していた。神々しいという言葉でも足らない、自然と床に額をつけたくなるようなお姿は、わたしの知っているスイシャク様とは、まったく別のものだったけど。
 
 個室の中は、いつの間にか、とてつもなく広大で、不思議な空間に変わっていた。そこには、柔らかにきらめく乳白色のかすみがたなびき、見えるといえばすべてを見通すことができ、見えないといえば、この上もなく美しい霞の他には、まったく何も見えなかったんだ。
 わたしが、じっと目を凝らすと、天空の一か所、スイシャク様が浮かんでいたはずの場所が、ひときわ神々しく輝いている。揺蕩たゆたうように微かに、っすらと透けて見えるのは、人の形をした光だろうか。もっともっと、じっと見つめていたら、もしかして……。
 
 無意識のうちに、神々しい光を凝視しようとしたとき、真紅の光の帯が、柔らかく目をふさいだ。耳元でささやくように聞こえてきたのは、深い慈愛に満ちたアマツ様の言霊だった。〈目をつむり、現世うつしよに戻りたれ〉〈□□□□□□□□が神体しんたいは、ひなの器に過ぎしもの〉〈こんの器をはぐくみて、やがては御名ぎょめいを呼ぶが良き〉って。
 ……ああ。今のわたし、今の魂の器では、スイシャク様の神名を呼ぶこともできないし、お姿を見ようなんて、思っちゃいけないんだろう。そうと理解した途端、わたしは、さっきは確かに聞いたと思っていた、スイシャク様の神名が、まったくわからなくなっていることに気づいた。〈それもまた、雛をば護る神の配剤はいざい〉って、アマツ様の言霊が降ってきたから、つまりは、そういうことなんだろう。
 
 純白の光の帯と、真紅の光の帯が、わたしを抱きしめてくれるみたいに、ぎゅっと締まってから、大気にけていったとき、わたしの肩の上にはアマツ様がいて、つやつやの可愛い頭を、わたしの頬にすり付けていた。そして、わたしの腕の中には、さっきまで天空に浮かんでいたはずの、スイシャク様がいた。
 スイシャク様は、もういつものスイシャク様だった。純白の羽がふっくふくに膨らんで、黒曜石みたいな瞳が輝いていて、ふっすふっすと鼻息をらしている、親切で優しいスイシャク様……。あまりにも神々しく、尊く、神威に溢れた、ご神霊そのもののスイシャク様よりも、まん丸な巨大雀のスイシャク様の方が、ずっとずっと好きだっていうのは、とりあえず秘密にしておこう。
 
 ふっすすす、ふっすすすって、さらに上機嫌に高まっていく鼻息を聞きながら、ようやく自分っていうものを取り戻したわたしは、慌てて周囲を見回した。だって、スイシャク様の神威に打ちのめされて、半ば意識を失っていたから、サミュエル会頭とテュテュがどうなったのか、全然わからないんだよ!
 ものすごく長い時間、現世を離れていたような気がしたのに、実際には、ほんのわずかな間だったらしい。わたしが目を向けた先では、呆然と目を見開いたサミュエル会頭が、よろめきながら、席を立つところだった。
 
 サミュエル会頭は、ようやく立ち上がったかと思った途端、崩れるみたいにして、床にひざまずいた。サミュエル会頭が、必死に手を伸ばした先には、全身を淡く輝かせながら、半透明のテュテュが浮かんでいて、じっとサミュエル会頭を見つめている。サミュエル会頭は、一瞬でも目を離したら、テュテュが消えてしまうとでも思っているのか、まばたきさえしようとはしない。
 テュテュは……大喜びで、サミュエル会頭に飛びついていくかと思ったテュテュは……その場から動こうとはしなかった。四本の尻尾も、くるっと内側に巻き込まれたままだ。サミュエル会頭が大好きで、ずっと側にいて、いつも守っていて、でも、一度もサミュエル会頭に気持ちを伝えることのできなかったテュテュは、怖かったんだと思う。奇跡を信じて、裏切られるんじゃないかって、きっと怖くて怖くて仕方なかったんだと思う。
 
えんを結んだから、大丈夫! テュテュを呼んでください、サミュエル会頭!」
 
 見かねたわたしが、そう叫んだ瞬間、サミュエル会頭は、雷に打たれたみたいに身体を震わせた。そして、伸ばした腕はそのままに、何度も何度もためらってから、弱々しくかすれた声で、親友だった子犬に呼びかけた。〈可愛いテュテュ〉って……。
 サミュエル会頭の呼び声は、ほんの小さなものだったけど、テュテュにとっては十分だったんだろう。テュテュは、鳴き声一つ上げないまま、放たれた矢みたいな勢いで、一直線にサミュエル会頭の胸の中に飛び込んでいったんだ。
 
 テュテュに飛びつかれたサミュエル会頭は、驚きに目を見張り、胸の中のテュテュを見つめ、はっきりとわかるほど震える手で、黒い毛並みに触れていく。最初はそっと、消えるのを恐れるかのように。二度、三度、その存在を確かめてからは、両腕で固くテュテュを抱きしめて、小さな犬の黒い頭に頬ずりをくり返した。
 気がつけば、サミュエル会頭は、泣きじゃくっていた。灰青はいあお色の瞳からは、涙があふれ続け、ぽたぽたぽたぽた、雨みたいにテュテュの毛を濡らしていく。〈……テュテュ……ああ……テュテュ〉って、何度も何度も小さな犬を呼ぶ声は、わたしの胸が痛くなるほど、深い愛情に濡れていた。
 
 可愛いテュテュは、きゅうきゅうって、微かな声を上げながら、全身でサミュエル会頭にすがりついていた。顔と身体をこすりつけ、サミュエル会頭の顔中をなめ回し、また身体中をこすりつける。綺麗な茶色をしたテュテュの足先は、ずっと小さく掻く動きを繰り返していて、少しでも多く、少しでも近く、サミュエル会頭と触れ合いたいっていう気持ちが、こめられているようだった。
 そして、喜びや悲しみでは泣かないはずの犬なのに、テュテュは泣いていた。全霊でサミュエル会頭にすがりつきながら、固くつむったテュテュの目からは、後から後から、透明な涙が溢れて止まらなかったんだ……。
 
 わたしは、もうだめだった。テュテュがいじらしくて、サミュエル会頭が切なくて、泣けて泣けて仕方なかった。しっかりと見つめていたいのに、サミュエル会頭とテュテュの姿が、拭っても尽きない涙にかすんで、鼻水がずるずる流れ出す。花も恥じらう年頃で、もうすぐ、こっ、婚約しようっていう少女にしては、あんまりな泣き顔だと思うけど、人には、涙を止められないときがあるんだよ!
 鼻水が綺麗なドレスを汚しそうで、さすがにどうにかしようと思ったとき、ハンカチを持った手が、わたしの顔をそっと拭ってくれた。びっくりして目を向けると、目を赤くしたお母さんが、優しく微笑んでいる。
 
「ありがとう、チェルニ。わたしの愛する娘は、わたしたち家族の誇りよ。あなたをお守りくださっている、いとも尊い御神霊にも、心からの感謝をお伝えしてね」
「うん。わかった。あのね、お母さんにも、テュテュの姿が見えているんだよね? わたし、サミュエル会頭とテュテュを会わせてあげたくて、祈祷きとうをしたんだけど、そこから先のことは、あんまりよくわからないんだよ。どうなったの?」
「さっき、目をつむったチェルニが、何かをつぶやきだしてから、すぐに身体が光り始めたのよ。前に、御神霊が降臨なさったときと同じ、ものすごくまぶしいのに、目をることのない、優しくて清らかな光だったわ」
「……わたし、また、発光する少女になっちゃったんだね……」
「ええ。発光していたわ。ぴっかぴかよ、ぴっかぴか。しばらくすると、チェルニから溢れ出た光が、部屋中に広がって、神々しく輝いたの。あまりにもおそれ多くて、ありがたくて、ひざまずいて礼を捧げたかったんだけど、なぜか身体が動かなかった。そして、その光の中から、一筋の光の帯が伸びてきて、サミュエル会頭と、会頭の側にいた何かを結び合わせたみたいに見えた途端、どこからか子犬の可愛い鳴き声が聞こえてきたの。あっと思ったときには、部屋中に広がった光は消えていて、サミュエル会頭の側に、淡く輝く犬が、ふわりと宙に浮かんでいたのよ。本当に、畏れ多いことだわ。ほら、周りを見てごらんなさい、チェルニ」
 
 お母さんにいわれるまま、わたしは、もう一度、ぐるっとあたりを見回した。固く抱き合ったまま泣いている、サミュエル会頭とテュテュの側では、サミュエル会頭の奥様が、うれしそうに微笑みながら、ぽろぽろと涙を流している。不動産屋さんたちも、唇を噛み締めながら泣いていて、特に、犬好きらしいマクエルさんは、でた海老みたいに赤くなって、嗚咽おえつこらえていた。
 そして、個室の入り口のところには、なぜかアリアナお姉ちゃんやフェルトさん、総隊長さんにアランさんまで揃っていて、やっぱり涙を流している。ルルナお姉さんなんて、白いエプロンに顔を埋めて、肩を震わせちゃってるよ。びっくりして、思わず涙の止まったわたしに、お母さんが、そっとささやいた。
 
「チェルニから溢れ出た光は、アリアナたちのいた部屋にまで届いていたから、慌てて様子を見に来てくれたのよ。わかってはいたけれど、《神託しんたく》のお力は、何て尊いものなのかしらね、子猫ちゃん」
 
     ◆
 
 それからは、楽しいだけの時間になった。涙を拭ったお母さんが、張りのある声で、食事会の再開を宣言したんだ。サミュエル会頭の呼びかけで、わたしやお姉ちゃんたちも、一緒の部屋でご飯を食べることになったしね。
 サミュエル会頭といえば、ようやく冷静さを取り戻した途端、真剣な瞳でわたしを見つめ、床に平伏へいふくして、お礼をいおうとしてくれた。もちろん、全力で拒否して、何とか諦めてもらったけど。不動産屋さんたちまで、一緒になって平伏しようするんだから、わりと迷惑だったんだよ、わたし。
 
 改めて、わたしに用意されたのは、サミュエル会頭の真向かいの席だった。サミュエル会頭の膝の上には、テュテュが抱き上げられていて、星みたいに煌々こうこうと輝く瞳で、うれしそうにわたしを見つめている。わずかの間に、テュテュの毛並みは、いっそう美しくなっていて、まるで毛の一本一本が発光しているみたい。真っ黒に濡れた鼻は、すぴすぴと小さな鼻息をこぼしていて、ものすごく可愛かった。
 わたしは、テュテュの気持ちに応えられたんだろうか? テュテュからサミュエル会頭へ、伝えたいことはないんだろうか? わたしには、テュテュの言葉はわからないから、スイシャク様とアマツ様に、聞いてみようかと思ったところで、サミュエル会頭が、ものすごく丁寧な口調で、話しかけてくれた。
 
「カペラ家の素晴らしいお嬢様。わたしは、何といって、貴女あなた様に感謝を捧げればいいのかわかりません。貴女様が、わたしに与えてくださった恩寵おんちょうが、どれほどありがたく尊いものか、いい表すすべさえないのです。これほどの奇跡が起こせるのは、御神霊の愛子まなごに他なりません。慈悲深く尊い御神霊と、その御神威しんいに連なるお嬢様に、深甚しんじんなる感謝をたてまつる。わたくしが持つすべてのものは、貴女様のお申し付けになられるままに、謹んでお捧げ致します」
「……えっと、わたしは、神霊さんに命じられたまま、ちょっと仲立ちをさせてもらっただけですので、あんまり気にしないでくださいね。お嬢様もやめてもらって、せめてお嬢さんでお願いします。それよりも、サミュエル会頭には、今もテュテュが見えているんですよね? テュテュの気持ちとか、伝わっていますか?」
 
 わたしが質問すると、サミュエル会頭は、幸せそうに微笑んで、膝の上のテュテュをなでた。テュテュは、すっぴすぴ、すっぴすぴと鼻を鳴らして、サミュエル会頭を見上げる。わたしの方に顔を向けて、後ろからサミュエル会頭に抱っこされているから、のけぞってた感じになっていて、すごく可愛い。
 サミュエル会頭は、ますます微笑みを深くして、テュテュの喉元のどもとをくすぐった。サミュエル会頭とテュテュって、本当に仲良しなんだって、うれしくなって、わたしまで笑顔になっちゃうよ。
 
「お嬢様……お嬢さんのおかげで、今は、テュテュの姿がはっきりと見えますし、テュテュの気持ちもわかります。言葉として聞こえてくるわけではないのですが、何かの回路がつながったかのように、テュテュから明確に伝わってくるものがあるのです」 
「良かった。テュテュは、サミュエル会頭が大好きだっていってるでしょう? サミュエル会頭のことも、会頭のお母さんのことも、恨むなんてとんでもなくて、ずっと心配して側にいたんだって、そういってるでしょう?」
「ええ。お嬢さんのおっしゃる通りです。テュテュは、わたしの無事をひたすらに喜び、わたしの幸せだけを祈ってくれています。そんなテュテュの思いも知らず、暗く沈み込み、心の奥底で父母を憎んでいた自分を、今は恥じています」
「サミュエル会頭のお父さんとお母さんは、ご健在ですか?」
「ええ。ありがたいことに、まだ元気でいてくれます。仕事の第一線からは退きましたが、夫婦仲良く、隠居生活を楽しんでおりますよ」
「だったら、間に合いますね。お父さんとお母さんにも、テュテュの気持ちを伝えてください。仲直りができますよね?」
「ありがとうございます、お嬢さん。すぐに訪ねていって、父母に心から謝罪し、今後は親孝行に励むと、お嬢さんにお約束します。ところで、その……」
「何でしょう?」
「その、答によっては、あまり聞きたくはないのですが、聞かないままにもできないでしょう。お教えください、お嬢さん。わたしは、これからも、テュテュの姿を見て、テュテュの気持ちを感じ取ることができるのでしょうか? それとも、この場に限り、御神霊からお許しいただいた奇跡なのでしょうか?」
「ああ、なるほど……」
 
 サミュエル会頭の心配は、すごくもっともなものだった。わたしは、腕の中にいるのに、誰にも認識できないように神威を消している、スイシャク様に問いかけた。サミュエル会頭とテュテュは、これからも一緒にいられるんですかって。
 スイシャク様は、ふふっすふふっすって、いかにも得意げな鼻息まじりに、イメージを送ってくれた。〈姿なく、声なく、気配もなかりせば〉〈人の心は寂しかるらん〉〈我が慈悲は寛仁大度かんじんたいどと覚えけれ〉〈結縁けちえんされし人の子は、見えざるものをば見通さん〉って。
 つまり、慈悲深いスイシャク様は、サミュエル会頭が寂しくないように、いろいろ考えてくれたんだよね? この先もずっと、テュテュを見たり、気配を感じ取れるようにしてくれたんだよね?
 
「えっと、大丈夫だと思います。サミュエル会頭とテュテュは、ちゃんと魂で縁を結んだので、この先も姿を見たり、気配を感じたりできるそうです。ただ、結縁けちえんしていない、サミュエル会頭以外の人たちは、このお店を出たら、見えなくなっちゃうかもしれませんけど」
「十分です。ありがとうございます、お嬢さん。本当に、十分です。言葉にならないほどの喜びですよ」
「えへへ。良かったです。あっ、それから、うちのお父さんの料理だったら、テュテュも食べられると思いますよ? テュテュは、普通の犬じゃなくて、御霊みたまになっているから、人と同じものを食べても、まったく問題がないそうです。スイシャク様……会頭とテュテュの縁をつないでくれた、尊い神霊さんが、〈これからは、一緒に美味しいものを食べなさい〉って、いってくれてます!」
「…….何とありがたく、おそれ多い。ああ、テュテュが、ものすごく喜んでいますね。はははっ。テュテュは、わたしたちが先ほどいただいた、〈野ばら亭〉名物のモツ煮込みが、とても美味しそうだったと、うらやましがっていますよ」
「ふふ。それは、嬉しいお言葉ですわ。テュテュちゃんの分のモツ煮込みも、ご用意いたしましょうか?」
「恐れ入ります、カペラ夫人。あの至高しこうの美味を、テュテュと分け合えたら、どれほど幸せなことでしょう。どうか、お願いします」
「お任せくださいませ。さあ、皆様にも、次々にお料理をお運びいたしますわね。まだ前菜ですもの。わたくしの愛する夫が、たくさんのご馳走ちそうをご用意しておりますのよ。どうぞ、召し上がれ」
 
 お母さんのかけ声と共に、ルルナお姉さんが、次々に料理を運んできてくれた。薄いパイ生地を、小さなかごの形に焼いたものの中に、海老とアボカドとりんごのマヨネーズソースえを詰めたサラダ。ふわっふわの白身魚の揚げ物に、ぴりっと辛味を効かせた香草のソースを添えたもの。丸々一羽の鶏にたっぷり蜂蜜を塗った後、風通しのいいところにるしてお肉の水分を落とし、〈野ばら亭〉特製のハーブ塩をすり込んで焼き上げた丸焼きは、うっとりするような飴色に輝いている。脂の乗った鮭のグリルは、丸ごと焼いた秋なすの身をすりつぶして作る、手の込んだクリームソースで。薔薇色に焼かれた牛肉を薄切りにして、きのこのグリルを順番に重ねて層にした一皿は、一層ごとにきのこの種類が違っているんだ。かぶと柿とセロリのあっさりとしたサラダは、ご馳走とご馳走の合間に、舌をさっぱりさせてくれるし……。
 
 一言でまとめると、今日も、わたしのお父さんの料理は最高だった。お客さんたちも、口々に絶賛しながら、どんどん食べてくれた。スイシャク様とアマツ様は、神々しい気配を薄くして顕現けんげんし、わたしのお給仕でご飯を食べていたけど、皆んな、そこはあんまり気にしなかったみたい。突然のテュテュの出現で、感覚が麻痺しちゃってたんだろう、多分。
 テュテュは、サミュエル会頭のスプーンで、どんどん料理を口に入れてもらって、おいしそうに食べていた。四本の尻尾なんて、ばっさばっさと振られていたしね。サミュエル会頭は……テュテュを膝に乗せて食べている間は、〈真実の舌〉の加護が消えて、普通にご飯が食べられることに気づいて、深く深く感謝の祈りを捧げていたんだよ……。
 
 食事の最中、サミュエル会頭は、お店を売ってくれるどころか、ただでもらってほしいっていい出して、わたしのお母さんに怒られていた。お母さんは、定価で買うっていって、絶対に引こうとしないし、サミュエル会頭はサミュエル会頭で、〈恩人のご家族から金銭は受け取れない〉って、頼み込んでくる。結局、個室の一つを、サミュエル会頭の専用室にする約束で、売値よりも少し値引きしてもらうことになったんだ。
 サミュエル会頭が、わたしに恩義を感じてくれているのは確かだけど、それ以上に、最高においしいお父さんの料理を、これからもテュテュと一緒に食べたいんじゃないかな。浮かれるあまり、〈毎晩、《野ばら亭》で食事をさせてもらえれば、家内の焦げた料理からも解放されます〉なんて、とんでもない失言をして、優しい奥様に頬をつねられていたのは、見ないふりをしてあげよう。
 
 夜が深くなりそうな頃、楽しい食事会は、大満足のうちに幕を閉じた。再会を約束して、売買の話もうまくいって、お父さんとサミュエル会頭が固い握手をして、わたしもテュテュを抱っこさせてもらって、わたしたちは、上機嫌で王都の家に帰った。
 いつの間にか、自分たちの居場所だって、愛着がき始めた家で、わたしたちを待っていたのは、見るからに重々しくて高級そうな、神霊庁からの封筒だった。
 
 それは、アリアナお姉ちゃんとフェルトさんからの告発を受けて、神前裁判の行われる日時が、ついに決定したっていう知らせだったんだよ……。
 

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