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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 1-3

01 ロンド 人々は踊り始める|3 憤怒

 
 その日、ロジオン王国の北東部に位置する大領、オローネツ辺境伯爵領の郡部で、代官を任されているルーガ・ニカロフの下に、一人の文官が駆け込んできた。
「大変です、ルーガ様。物見の塔に合図が来たそうです。昨晩からルフト村が襲撃されています。襲っているのは、第七方面騎士団とおぼしき部隊。被害の詳細は不明。騎士の人数は二十名程度です」

 文官の悲鳴にも似た報告に、ルーガは椅子をね飛ばすようにして立ち上がると、室内にいた副官に向かって矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「俺が行く。馬を引け。随行は二十名。門番と農兵の中から、直ぐに出られる奴に声を掛けろ。十ミラで出立するので、間に合わない者は後からお前が連れてこい。良いな」
「はっ、直ちに」

 副官が部屋を飛び出していったのを見てから、ルーガは急を知らせてきた文官に向き直り、緊迫した声で指示を重ねた。
「後を頼む。ずは、決められた手筈てはず通りに狼煙のろしを上げて、オローネツ辺境伯爵閣下に急を知らせるんだ。合わせて、早馬をオローネツ城に向かわせろ。詳細は分からないままでいい。俺達だって、行ってみるまで何も分からないんだからな。先程の報告だけでも、閣下は救助の手配を整えて下さる筈だ」
「畏まりました、ルーガ様。この代官屋敷でも、救援物資を用意致しますか」
「そうしてくれ。取り敢えず、一ミルの間に揃う物だけを、先行して送り出してくれ。医薬品は多目にな。後は、或る程度まとまり次第、順次送ってくれれば良い。急げ」
「御意。御前、失礼致します」

 それだけ言って、文官が部屋を駆け出して行くのを横目に、ルーガは手早く身支度を整えた。人目も気にせずに服を脱ぎ捨てると、常に戸棚に用意してある戦闘用の衣服を着込み、革鎧と軍靴ぐんかを手早く身に付ける。ルーガが最後に手にしたのは、長年愛用する片手剣である。ロジオン王国の騎士団が使う細身の軍刀に比べると、無骨で飾り気のない実用一辺倒の豪剣だった。

 ルーガは、足早に代官屋敷の表門へと向かった。そこには既にルーガの軍馬が引き出されており、他にも五人の男達が馬の手綱を取って並んでいた。その内の一人、門番の御仕着おしきせの上に革鎧を身に付け、槍を持った男が、ルーガに言った。
「親父さん、この五人は直ぐに行ける。後の奴らも三十ミラで行ける」
し。我らで先行する。ルフト村まで馬を飛ばせば、二ミルは掛からん。村の奴らが不憫ふびんだからな。少しでも早く行ってやろう。着いて来い」

 そう言うと、ルーガは軍馬にまたがり、一気に表門から走り出た。馬を疾走させながら、ルーガは言いようのない絶望にうめいた。こうして村々の救助に駆け付けるのは、一体何度目になるのだろうか。息も吐かずに辿り着いた所で、村でルーガ達を待っているのは、凄惨せいさんを極めた地獄だろう。命を捨てても守りたい領民達は、襲撃を受けてからの一昼夜の間に、取り返しの付かない傷を負わされているに違いないのである。

 黄金の国として繁栄はんえいを極めるロジオン王国には、約百年前から施行されている特殊な法律が存在する。過去に類を見ない悪法であると同時に、ロジオン王国を強力な中央集権国家として成立させている根源ともいえる、〈報恩特例法ほうおんとくれいほう〉である。ルーガを走らせているのは、正にこの報恩特例法だった。
 約七千万人の人口を抱えるロジオン王国の戦闘員は、騎士と兵士を合わせ、概ね百万人を超える。ロジオン王国と並ぶ大国であるスエラ帝国でも、約八千万人の人口に百二十万人の戦闘員が配備されており、人数そのものは適正であるものの、その構成は異質であり、異常ですらあった。

 ロジオン王国の軍部は、近衛このえ騎士団、王国騎士団、方面騎士団の三つの組織から成る。人員数は、王城と王族を守護する近衛騎士団が一万五千人、王都の治安維持に当たる王国騎士団が二万五千人、王都以外の地方に配備された方面騎士団が九十六万人である。方面騎士団は、広大な王国を十六の地域に分割した十六の支部によって成り立っており、支部間の上下は存在しない。
 そして、ロジオン王国の貴族達は、当代当主から三代以内に、王子王女と婚姻した嫡子ちゃくしのいる公爵家を除いて、一切の戦力を持つことを許されていなかった。領主が召し抱えることを許されているのは、爵位によって決められたわずかな護衛騎士と、領地の運営に必要な非戦闘員だけだった。

 自警団の結成さえ禁止される中で、領主達が領土の治安を維持しようとすれば、方面騎士団に出動を依頼するしかない。一方、領地の治安維持に尽力する方面騎士団は、当然に対価を求める権利を与えられる。方面騎士団を維持する資金の拠出と、さらにもう一つ、〈方面騎士団はほどこした恩を領民から直接取り立てられる〉と定めたのが、報恩特例法ほうおんとくれいほうなのである。

 馬にむちを当て、晩春の草原を駆け抜けながら、ルーガは三十年程前の光景を思い出していた。オローネツ辺境伯爵領ではなく、ルーガが生まれ育った或る地方領で、村人による納税拒否の騒動が起こったときのことである。長雨による不作に貧しい村が耐えられず、納税の猶予ゆうよを願い出ただけであったのに、必死にすがる村人達に不快を感じた領主は、護衛騎士に自分と家族の身を護らせた上で、管轄かんかつの方面騎士団に村の鎮圧を依頼したのだった。
 軍事を専門とする騎士と、農具以外には武器さえ持たない村人達である。そもそも村人達には、戦う気すら有りはしなかったのだから、勝敗は瞬時に決した。押し寄せた方面騎士団の騎士達によって、首謀者と目された村人達は、二つの道を歩まされた。その場でなぶり殺しにされるか、捕縛されて殺されるかである。そして、呆気なく騒動が鎮圧された後に、村にとって本物の地獄がやってきた。

 報恩特例法では、地方領の為に動員された騎士は、動員の原因となったり、救助対象となったりした領民に対して、一度限り直接的に〈恩返し〉を要求することが出来る。禁止されるのは、無抵抗の者を殺害することと、領地を強奪すること。逆に言えば、抵抗する者は殺しても構わず、土地以外は何を奪っても良いと法律が定めているのである。

 合法的に略奪を許された方面騎士団は、舌舐めずりをして、反乱を起こしたとされる三つの村に襲い掛かった。金品や食糧は真っ先に奪われ、女達は凌辱りょうじょくされた。妻や子、母や姉妹を護ろうと、男達は地につくばって許しをうたが、一顧いっこだにされなかった。十歳にもならない幼い娘を犯されようとした父親が、たまり兼ねてかまを振り上げた瞬間、方面騎士団の騎士達は、大声で笑いながら父親を斬り殺した。
 さらに、一度限りと定められた略奪には抜け道が有った。土地以外は略奪対象になるのだから、領民の身分も一度なら奪える。そうした強引な解釈の結果、若い女や子供達、労働力になりそうな男達は、〈一度だけ〉領民としての権利を奪い、方面騎士団の為の奴隷どれいに落としてしまえるのである。

 領民としての権利を奪われた村人達は、そのまま方面騎士団専用の奴隷として留め置かれるか、奴隷商に売り払われた。いずれにしろ、報恩特例法ほうおんとくれいほう徴発ちょうはつ対象になった村人達には、明るい未来など欠片も残されてはいなかった。
 騎士爵の息子として生まれたルーガは、頑健がんけんな身体と優れた武勇を目に留められ、十代の半ばに護衛騎士として出仕した。それから間もなく、領主の供として、方面騎士団が去った後の村へ視察に訪れたルーガは、目を覆いたくなる程の情景を前に言葉を失った。貧しい村の家々は燃やされ、あちらこちらに死体が散乱していた。多くの村人は連れ去られ、残された年寄り達は力なくうずくまり、その腕には生死も分からない赤子達が抱かれていたのだった。

 村々の悲惨な現実を目の当たりにしても、当時のルーガが仕えていた領主は、心を動かされた素振そぶりすら見せなかった。絹の生地に金の飾りぼたんを輝かせた領主は、詰まらなそうに鼻を鳴らしながら、こう言った。
「虫けら共が生意気に反乱など起こすから、このような目に遭うのだ。此奴こやつらの所為で方面騎士団に謝礼を払わされるとは、全く業腹だな」

 目の裏が真っ赤に燃え上がり、心臓が掴み潰されそうになる程の憤怒ふんどがあるということを、ルーガはこのとき初めて知った。横にいた同僚が異変を察知し、咄嗟とっさに足を踏んで止めてくれなければ、ルーガは領主に斬り掛かり、その場で同僚の護衛騎士達に斬り殺されていただろう。
 領主館に戻ったルーガは、即座に辞意を申し出ると、領主に忠誠を誓っている家族をも捨てて、そのまま出奔しゅっぽんした。紆余曲折うよきょくせつの末、領民を護る為に命を懸けようとするオローネツ辺境伯爵に拾われたのは、ルーガにとって望外ぼうがいの幸福だった。領民を同じ人間として認識し、その守護を貴族の義務だと考えている領主に行き当たるなど、砂漠の中で砂金を見付けるにも等しかった。

 三十年前のあの日と同じ、清々しい春の空の下で、救いを待つ村へと一途に馬を駆りながら、ルーガは強く思った。ロジオン王国の地方領に生きる者達の地獄は、いつか終わる日が来るのだろうか。報恩特例法ほうおんとくれいほうの名の下に、領民を蹂躙じゅうりんするロジオン王国の暴虐ぼうぎゃくに、一体誰が終止符を打ってくれるのだろうか、と。