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フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 黄金国の黄昏

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#須尾見蓮

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-15

03 リトゥス 儀式は止められず15 鍵  王都であるヴァジムの中心地、王城にも近い一等地に建つ屋敷の居間で、ゲーナはアントーシャの帰りを待っていた。貴族の邸宅にはめずらしく、|鬱蒼と茂った木々に囲まれた屋敷は、容易に人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていながらも、どこか清々しく落ち着いた佇まいで、ゲーナに安らぎを与える場所だった。  長椅子に寝そべり、分厚い書物を読んでいたゲーナは、何処からともなく聞こえてきた涼やかな鈴の音に、穏やかな微笑みを浮かべた。書物を置いたゲーナが

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-14

03 リトゥス 儀式は止められず14 月夜は暗く  アリスタリスの王太子冊立に賛同する見返りに、|報恩特例法を撤廃するという言質を取り付けたコルニー伯爵は、即座に動き始めた。近衛騎士団長として元第四側妃の不貞を許した責任を取るのだと、自ら宰相府に謹慎を申し出ると、その申告が認められる前から自邸に引き篭もり、膨大な数の手紙を書き続けたのである。  広大なロジオン王国の四方に位置する辺境伯爵家に対しては、報恩特例法の撤廃を見返りに協力を求める為の書状であり、王都に暮らす地方領主

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-13

03 リトゥス 儀式は止められず13 細き道  捕虜とした第七方面騎士団の騎士達を、手当すらしないまま乱雑に荷馬車に積み込み、ルーガ達一行はオローネツ城へと帰還した。無事の知らせを聞いたオローネツ辺境伯は、裏門に続く練兵場まで自ら足を運び、笑顔でルーガ達を出迎えた。 「ルーガも皆も、|能く戻ってきてくれた。そなた達の無事な顔を見られて、本当に安心したよ。御苦労だったな」  ルーガ達は一斉に騎士の礼を取り、敬愛する主君に笑い掛けた。オローネツ辺境伯爵領だからこそ許される遠

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-12

03 リトゥス 儀式は止められず12 策略    王城を密かに震撼させたローザ宮の騒乱から数日後、|近衛騎士団長であるミラン・コルニー伯爵と、近衛騎士団の連隊長を務めるイリヤ・アシモフ騎士爵は、王妃エリザベタの住まうリーリヤ宮の一室で、アリスタリスの前に跪いていた。コルニー伯爵もイリヤも、悄然とした青白い顔を隠すように、両膝を突いて頸を晒したままの姿である。  元第四側妃の不貞に気付かず、近衛騎士から愛人を出したという不名誉に、近衛騎士団の名声は地に落ちた。近衛の長であるコ

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-11

03 リトゥス 儀式は止められず11 一つの決着  |丘陵の頂に聳え立つオローネツ城の裏門から、城下の繁華な街並みを抜け、人通りのない草原に出るまでの道程には、灰色の石を敷き詰めた舗装の所々に、紅く光る燐光石を目印に埋め込んだ、一筋の馬車道が敷かれている。オローネツ辺境伯爵領の領都オローニカの住民達に、〈紅道〉と呼び慣わされる街道は、オローネツ辺境伯爵家の許可がない限り、決して通ることを許されない、緊急連絡の為の専用道なのである。  紅い星が小さく瞬くような一筋の道を、十

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-10

03 リトゥス 儀式は止められず10 訪れし者  ルーガ達が襲撃を予感していた丁度その頃、エウレカ・オローネツ辺境伯爵は、己が居城であるオローネツ城の執務室で、静かに書類に目を通していた。すると、不意に澄んだ鈴の音が鳴り、|何処からともなく青い燐光を纏った封筒が現れた。オローネツ辺境伯や文官達は驚いた顔も見せず、護衛騎士達も嬉し気に頷いて、封筒が緩りと室内を漂う様子に目を細める。微笑みを浮かべたオローネツ辺境伯が、そっと右手を差し出すと、封筒は過たずその掌に着地した。 「

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-9

03 リトゥス 儀式は止められず9 死闘  オローネツ城からの救援を待つルーガが、時間稼ぎの罠として仕掛けた決闘の申し入れに、第七方面騎士団の隊長と思しき男は、易々と絡め取られた。既に何人かの騎士を失い、完膚なきまでに侮辱された隊長は、即座に決闘を受け入れたのである。内心の思惑を欠片も|窺わせず、ルーガは平然と言葉を続けた。 「良し。ならば、決闘だ。人数は三対三で、同時に戦うのは一人ずつ。決着が着くまで他の者は手出し無用。武器は弓矢などの飛び道具を除いて自由。馬からは降り

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-8

03 リトゥス 儀式は止められず8 襲撃  オローネツ辺境伯爵領の村を襲った第七方面騎士団の騎士達を、瞬く間に|屠ったルーガとその部下達は、生かしたまま捕えておいた三人の騎士を荷馬車に乗せ、オローネツ辺境伯爵の居城を目指していた。ルーガが差配を任されている代官屋敷からオローネツ城までは、馬車で二日程の距離である。その短くもない旅の行程で、三人の罪人は最低限の水分以外、麦の一粒も与えられず、乱暴に荷馬車に積み重ねられていた。  やがて一行の道行もそろそろ終わろうかという頃、ル

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-7

03 リトゥス 儀式は止められず7 父と子  アイラトの来訪を許したエリク王は、引見に用いる執務室ではなく、|滅多に人を立ち入らせることのない居間へと、己が王子を招き入れた。巧みに気配を消した二人の護衛騎士とタラス、アイラトの供をしたゼーニャが居るだけの密室である。スニェークと名付けた純白の子猫を膝に乗せ、エリク王は寛いだ様子でアイラトに声を掛けた。 「能く来たね、トーチカ。ここへ来て御座り」  しかし、アイラトは父王の前まで進み出ると、無言のまま両膝を床に突き、自らの

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-6

03 リトゥス 儀式は止められず6 決断  その夜、五歳ばかりの幼子は、高熱に|魘されていた。柔らかな金色が辺りを満たす豪華な寝室の一角、大人でも持て余す程に巨大な寝台の上で、その子は荒い息を吐きながら、赤い顔で背を丸めている。医薬の手は尽くされており、傍らには医師が常に付き添っていたものの、幼子が望んでいるものは与えられていなかった。 「陛下の御成りでございます」  密やかな声と共に、何人もの人が動き出す気配を感じ、幼子は必死になって薄眼を開けた。すると、滑らかで冷た

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-5

03 リトゥス 儀式は止められず5 王妃と王子  ロジオン王国の王妃と定められた者は、代々がリーリヤ宮と名付けられた|壮麗な宮殿に暮らす。典雅に咲き誇る大輪の白百合は、ロジオン王国に於いて、花の女王とも呼ばれているからである。何れの王の時代も、王城には高貴な花々が咲き乱れ、花の女王たる白百合と姸を競っていた。  当代のリーリヤ宮の主人、エリク王の正妃であるエリザベタ・ロジオンは、王妃だけに許された割合の黄白が煌めく自室で、豪奢な天蓋付きの寝台に横たわったまま、己が産んだ唯

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-4

03 リトゥス 儀式は止められず4 慟哭  清々しい晩春の空の下、オローネツ辺境伯爵領の代官の一人、ルーガ・ニカロフが率いる一団が、懸命に馬を走らせていた。ルーガの代官屋敷に急報が|齎されたのは、数ミル前のことである。ロジオン王国が定めた報恩特例法による出動だとしても、方面騎士団に蹂躙されているルフト村から、救いを求める知らせを受けたルーガ達は、頬を擽る風を感じる余裕さえなく、一心に前だけを見て馬を駆り立てているのだった。 「見えた。村が見えてきた。奴ら、まだ村にいやがる

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-3

03 リトゥス 儀式は止められず3 王子と妃  第二側妃オフェリヤが暮らしていた蘭の宮殿、〈アルヒデーヤ宮〉で生まれ育ったアイラトは、クレメンテ公爵家の姫を正妃として迎えたとき、独立した王子宮として〈ドロフェイ宮〉を与えられていた。神の賜物という意味の名を持つ宮殿は、|黄白の輝かしい光に照らされながら、何処か静謐で優美な佇まいを見せる。豪華絢爛な装飾よりも、洗練を極めた典雅な品々を好むアイラトの美意識が、ドロフェイ宮を支配しているのである。  その日、ドロフェイ宮の主客室

フェオファーン聖譚曲op.Ⅰ 3-2

03 リトゥス 儀式は止められず2 紅蓮の星  遥かに続く闇の中、今にも消えそうな程に小さな星が一つ、|仄かに瞬いていた。あえかな光では手元を照らすにも足らず、一層暗く沈み込むような情景の中で、アントーシャは只一人、じっと座り込んでいた。地面でもなく椅子でもなく、空間そのものにしどけなく身を預け、頬杖を突いた姿からは、深い悲しみと諦観の気配が立ち昇っていた。  温かな琥珀色に輝いている筈の瞳は、今は生気を失って色を消し、然ながら硝子玉にも見える。召喚魔術を破壊する為に、自ら